1998年8月18日~29日の間、ハバロフスク、モスクワ、レニングラード、イルクーツクの4都市を訪問した際の報告書から引用します。
私達のソ連滞在は、とても有意義なものであった。 私にとってソ連は、長年憧れていた国であり、また未知の国でもあったので、今回、訪ソを実現できたことは大きな喜びである。 たった八日間の滞在ではあったが、とても多くのことを学ぶことができたと思う、ここでは、その中でも最も心に残ったことについて書こうと思う。
私はハバロフスクで、日本語のできる二人のソ連人に出会った。 一人はディマという二十歳位の男性で、私達がハバロフスクに滞在した三日間、通訳とガイドをしてくれた。 本当に、偶然出会ったにも関わらず、とても親切に私達の希望を聞いてくれた。 彼は、独学で日本語を学んだと言っていたが、ほぼ完ぺきに日本語が話せる。 その上、漢字の読み書きも、よくできる。 日本に一か月ほど遊びに来たことがあると言っていたが、よく一人でここまでマスターできたものだと、感心してしまった。 まだ日本語を学び始めて何年もたっていないのに、どうしてこんなに上達が早いのだろう。
もう一人、日本語のできる人に出会った。 ホテルの売店でジュースを注文していた時、偶然そこにいた、リュスランというウクライナの人である。 この人も二十代の男性で、独学で日本語を勉強しているとのことだった。 まだ半年位しか勉強していないそうだが、ほぼ完全に日本語を話し、読み書きができる。 日本へ行ったことは無いとのことだったが、ソ連で手に入る上智大学の教材で学んでいるそうだ。 ほんの一時間ほどの対話であったが、私は彼から、とても多くのことを学んだように思った。 私はアメリカ留学の経験もあり、英語を十何年もやっているのに、未だ話すことだけでなく、読み書きも問題が多い。 それなのに、ディマとリュスランの二人とも、とても短い期間に驚くほど確実に、日本語を身に付けてしまっている。 この差はいったい何なのだろう。 思えば、私に限らず多くの日本人は、英語を何年も勉強しているのに、なかなか身につかない。 街には英会話学校が至る所にあり、英会話教材が氾濫している。 選ぶのに困るくらいにある。 それに比べて彼らは、限られた教材しか手に入らない。 選択の余地がない中で、ある物だけで、見事にそのほぼすべてを吸収し尽してしまうのだ。 山ほどの教材に囲まれて選択に困り、吸収しきれない私達と、わずかな教材からすべてを吸収し、身に着けてしまう彼らと、一体、どちらが幸せなのだろうか。
私の知っている、ある日本人の男性は、現在NHKでスワヒリ語のアナウンサーとして活躍している。 日本ではNo.1の実力を持っていると言われているそうだ。 今、彼はスワヒリ語を始めて、もう10年以上になるそうだが、勉強を始めたころは、三ヶ月で話せるようになり、NHKで仕事ができるまでになったという。 おそらくスワヒリ語を勉強するための教材はそれほど多く手に入らなかったであろうから。 彼もまた、数少ないチャンスから、出来る限りの物を吸収した人なのだと思う。
日本人にしろソ連人にしろ、ストイックな環境に身を置き、本気になって物事に取り組めば、大きな成果を手に入れることができるのだろう。 特に、今回出会った日本語を身に付けた二人のソ連の男性は、私の取り組み方の甘さを自覚させてくれたと思う。 もっと自分に厳しくならなくてはならない、と教えてくれた。