Japan-USSR

二泊三日・緊急入院レポート その3

毎日食べて寝るだけなので、もう食べる気がしなくなってしまった。昼食の時間に、左側のおばさんが、一緒に行こうと言うので、お腹一杯だからいらない、と言うジェスチャーをした。おばさんは何かロシア語で言って行ってしまったが、食事を持って戻ってきたのである。そして、スプーンですくって私の口元へ持ってくる。私がまた、お腹が一杯なのでいりません、と頑張ってジェスチャーをすると、こわい顔になって大声でロシア語を話すので、怒られた小さな子供のような気持ちになって、思わず口を開けてしまった。おばさんは、スプーンをぐっと私の口に入れて、満足そうに、食べないと大きくなれないわよ、というようなジェスチャーをしていた。言葉が通じないのは本当に困ったことだが、私のように言わなくてもいいことをつい言ってしまう人間にとっては、言葉が通じないくらいが調度良いのかもしれない。

夕方、昨日と同じころ、A氏とナターシャが来てくれた。ナターシャが先生に話しにいってしばらくすると、退院できると言いに来た。私は嬉しくて、すぐに着替え、帰る準備をした。その間、ナターシャがおばさん達に退院することなどを説明してくれた。おばさん達は、何度も何度も同じことを繰り返し言ってくれる。ナターシャが訳してくれた。”Very best wishes to you.”と意味らしい。私は嬉しくて、知らない間におばさん達に情が移っていることに気が付いた。何度も何度もそう言ってくれるおばさん達に手を振って、私は病院を後にした。

とても単調で、不安な入院生活あったが、良い経験になったと思う。私達のモスクワ滞在は、10日間ずっとモスクワ大の学生と過ごしたのだが、彼らは選び抜かれたエリートである。ソ連国民のトップ層に属する恵まれた彼らの生活を見ても、ソ連国民の一般的な生活は理解できない。事実、彼らの家には何でもあって、物が無いとニュースなどで聞かされていた私達は、意外に豊かなことに驚いたものである。それもソ連の一面であろうが、今回の私たちの日程では、その面しか見えないのである。しかし、私は二泊三日の入院生活で、わずかでもソ連の他の一面を見ることができたと思う。一つ後悔していることは、もう少しロシア語を勉強してくるべきだったということである。そうすれば、もっとおばさん達を理解することができたはずなのに、残念である。

名前も知らない、もう二度と会うこともないおばさん達に心から「ボリショイ、スパシーバ。」